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2008年10月

日本の持つ知力と技

建築に夢をみた (NHKライブラリー)

感想:
これはどうしても紹介したくてしょうがなかった。天才は一味も二味も違う。中身が濃い。日本もまだ捨てたものではない。

建築に夢をみた (NHKライブラリー)

著者:安藤 忠雄

建築に夢をみた (NHKライブラリー)

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記憶と忘却

奪われた記憶―記憶と忘却への旅

感想:
私は、幸運な事に、思い出はかすかに残っている。「学校」という文化のおかげであろうか。(通勤電車内は人で溢れている。その中に悪だくみをもった人々も紛れ込んでいる。悪気はないのだろうが…。要注意である。)

奪われた記憶―記憶と忘却への旅

著者:ジョナサン・コット

奪われた記憶―記憶と忘却への旅

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自然再生

幹線道路はアスファルト舗装で構わないと思う。だが、市道や私道まで、そうすることはないと思う。例えば、「芝生」をカーペットの様に敷き詰めたらどれだけ素敵であろうか。根気が必要だが、夢のある話である。地中温暖化にも打って付けだ。ヒートアイランド現象も免れる。さらに水が地下に浸透し、湧水が復活し、森の生命力が蘇る。下水処理場の浄水機能も上がる。またあるいは、歩道と車道の段差やガードレールは本当に必要なのかと不思議に思う場面もちらほら見当たる。思うに、市街の幹線道路では、歩道と車道はフラットにして、歩道はレンガを敷き詰めれば理想的だと思う。そうすれば、歩行者と自動車に挟まれた自転車も走行がし易い。巻き込み事故も大幅に減らせる。(今の私は都会より田舎が好きだ。なのに都会にいる。矛盾している。法律に縛られているのだから、仕方がない。)

森、田園、畑があって初めて、工場と街がある。

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花火

江戸時代から祭に花火は憑物だ。そして、花火の後は、恵みの雨が降る。米の収穫が上がる訳だ。日本人は昔から「器用」だと感心する。夏に祭りを起こせば、打ち水効果があって、エアコンも必要なくなる。エコで、夢がある。だから、昔の人の戒めが、夜は川で泳ぐなという事である。いやそもそも川で泳ぐこと自体あまり好ましくないのかも知れない。だが、春や秋の日向に小川で川遊びする程度なら気分転換になっていい。そして、私は、今でも釣りが好きである。

私の住む付近の川では、立派な鯉が泳いでいる。実に微笑ましい風景である。

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予知夢

今起きている現実が、過去に見た夢に似ている。そう思った事は、無いだろうか…。

自分の道は自分で切り開く。それは、どこまでが許されて、どこまでが許されない範囲なのだろうか?もし神がいるのならば、質問したい。

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16進法

(0,1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16)を(0,1,2,3,4,5,6,7,8,9,A,B,C,D,E,F)に対応させる。そして、(1,2,3,4…)桁目を(1,16,16^2,16^3…)で対応させる。和差積乗算が可能である。例として,

(8)10+(16)10=(8)16+(10)16=(18)16

となる。(ここで、18の8は8、1は16に値する。)

また或いは、2進法では、

01+10=11

001+111=1000

となる。

さらに、16進数18は、2進数 0001 1000 に変換される。

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アダムとイヴの原罪?

という神話がある。二人が禁断の実を食べて…、神々に罰せられて…というような話だったと思う。だが、彼ら程神聖な人物は居ないと思う。それを罪とする根本的考えから、やや捻くれていると思う。だが、一度そう教わったら、その執念は離れないのだから、一番恐ろしいのは、人間の諸行であって、しかし、それはやはり無常なのである。

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崖の上のポニョを再評価する。

やっぱり深いんですね。こちらとしても、「今はこれが精一杯」です。

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記憶の外的操作は認められない。

まさか。あの時私はフリーズした。そして未だにフリーズしている。私は納得した。某テーマパークではほぼ365日、パレードが開催されているという衝撃的な事実に。だから法律が毎年変わるのか。(時間泥棒!!)

いつから始まったのだろうか?

「夢と魔法」。それは、甘い誘惑だ。現実に戻らなくては!!

「まさか、君もか。」「もし、これが夢だとしたら。」「いや待て、そんなはずはない。」

何をというよりも、誰を信じればいいのだろうか。

悪い魔法使い!!

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考えられない交通事故

は数え切れない程存在する。こちらとしても、街を歩くのさえ苦痛で仕方がない。今の所自動運転は未完。大学の講義を聞いている限りだと、もし完成したとしても、非常にエラーが起きる確率が高そうだ。なぜならば、自動運転に比べれば、遥かにシンプルであろう、Windowsやデジカメでさえ、度々問題が生じるからである。さらに元を辿れば、ギリシャ文明と現代文明の根本的な処は変わっていないからである。その証拠に、車名を付ける際にはいつでもギリシャ文字を参考にするではないか。

歩行者ができる事は、規則をきっちり守る、言わば「人間のシステム化」である。これは、エンジニアであろうと、先生であろうと、社長であろうと、平社員であろうと、老人であろうと、幼児であろうと、全て日本人に言える事ではないだろうか。

が、しかし、それでもITSに期待できるモノは多々ある。その恩恵を受ける為にも、今は、ぬう様に、器用に、細々と生き抜いていくしかないと思う今日この頃である。例えば、乗用車のコンパクト化や品質の向上化は、間接的に交通事故を減らす事につながるであろうと思う。が、しかし、乗務員の神経がケータイやカーナビやラジオにいっているようでは、この国も終わりである。エアコンも、パワーウインドウも無い、「古い車」も悪くないと思う今日この頃である。

ネット社会は人々を退化させた可能性がある。

「暗号の解読」は死ぬまで続くであろう…。

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