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2010年1月

日本を代表するトヨタ自動車に対する記事

トヨタ自動車のリコールが問題となっている。最近で言えば米国での問題を発端とし、中国にも関連した、アクセルペダルに関する問題であるが、リコール問題は何も今回始まった事ではなく、それよりずっと以前の、販売台数が急増した2000年前後以前からリコール台数は国内外問わず異常なほどであり、しかもその中には重大事故につながるような大問題も例外ではない。それに反し、報道が目立たず、その実態を知るのは(私のような???)車に興味関心を持つものに限られるというのも、不可思議である。

今回の米国でのアクセルペダルでの問題は、ある記事では米国のある請負会社の設計ミスが原因であると述べられている。いかにもトヨタ自動車本体ではなく、請負会社の責任であるかのような書き方である。しかし、それ、すなわちトヨタ自動車のリコール問題が事実であるとするならば、(私はトヨタ自動車がここまでリコール大企業である事自体信じがたいのだが、出来ることならば嘘だと信じたいのだが)、仮に原因が請負会社にあるなしに関わらず、いずれにせよ、トヨタ自動車は企業として最低なミスを犯している事に変わりはない。なぜならば、言うまでもなく、そこには人の命が関わっており、それに対してトヨタ自動車の対応というのは、どうも誠意のかけるものであるからである。確かに、リコールという重大な欠陥に目をつぶれば、トヨタ自動車の製品・サービス共にそこには最高という名にふさわしいものを、高潔ささえ感じる。しかしそれは自動車を販売するまでの話であり、その後のアフターサービスという、企業が企業と呼ばれるには欠かす事の出来ない仕事について、あまりにもいい加減さというか責任の無さが感じられるのである。(その感想は、一トヨタ車地元購入者の正直な感想と、他社との比較から述べさせて頂く。)というのも具体的には述べにくい面もあるのだが、イメージとしては、新車の販売には確かに積極的であるものの、一度ユーザーが購入し、長年愛着を持つであろう大切な一台とその顧客に対する真心というのがどうもなおざりにされている感が否めないのである。

さて、話が本題からずれたが、何が言いたかったのかと言うと、自動車に限らず製品というのは、製造が完了して完成ではなく、ユーザーが最後まで製品に愛着を持ちながら最後までその役目を果たし、そこでやっと完成なのだが、その点について、トヨタ自動車に限ったことではないのかもしれないが、日本企業というのはどうも未熟である、ということである。

そして、核心を突けば、完成車メーカーであるトヨタ自動車は、アクセルペダルにしろ、何にしろ、自動車のあらゆる部分について、設計から製造まであらゆる責任を持つのが当然である。アクセルペダルであれば、必ずしも全てをトヨタ自動車が設計・製造するのが理想的とは断定できないが、関連メーカーと密に連絡を取り合うのは当然であり、それはもちろんされていたとは思うが、製品として自動車を販売するのであれば、最後の最後までその安全性を十二分に確認して、かつ万が一新たに些細な事でも問題が発見されたのであれば、速やかに最善を尽くすのが企業であり、最低限度の責任であり、真に完成させる為の極基本的な手順であると言うのは、わざわざ今更述べるまでの事ではない。

繰り返し述べるが、今回の問題は、小さな火傷程度で済むものではない。生死に直結した問題である。

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