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2010年3月

未知なる宇宙

1000年後の未来は、今と変わっているのだろうか?

科学は「現代で頂点」とは言わないが、それに限りなく近づいている。一方で、技術においては理論的な事もあるが、と同時に人間の時代的かつ肉体的な技量も同時に関わってくる。最も、科学・技術と精神とではやや事情が異なる。確かに2度に渡る世界大戦と3度目の世界大戦に向けた現実は、科学及び技術を飛躍的に発展させ、確信的なものへと近づけた。そして同時に、そういった積み重ねは、有識者をより学問的にというよりもむしろ精神的に向上させたのだが、しかし一方で、大衆の堕落をも促進させた。20世紀の産業構造は、封建社会言わばピラミッド構造を基本としていた。即ち、第二次世界大戦後は闇に隠されながらも、現実に根強く生きる帝国主義が基準となる。しかし、21世紀は、それを基準にしながらも、その構造は徐々に崩壊し、新たな基準へと移行する過程の始まりだとも言える。

未来は未知だ。従って、1000年後と云わずとも、100年後や50年後、或いは10年後でさえ、予測や予言は出来ても、確信は出来ない。だがしかし、21世紀と云うのは、「変化」の多大なる「きっかけ」を与える可能性が十分にある世紀だと思う。その事は、この街に生きる住民であれば実感できる事であろう。

諸行無常、千変万化。しからば、輪廻転生か。…。

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自律走行車を始めるに当たって

≪自動車の自動運転≫

【キーワード】

カメラによる白線認識

レーダによる障害物検知・回避

レーダによる先行車追従

SLAM(GPSによる走行経路検出)

ジャイロスコープによる位置検知・補正

電気自動車の自動運転を考察する。この電気自動車はエネルギー源としてバッテリーを搭載し、FF車の場合、前輪をモータで駆動し、前輪と後輪をステアリング制御する。モータのトルク・回転数は、電源回路・周波数変換回路等で電圧・電流・周波数等を制御することで電気的に制御する。

自動運転(自律走行)には、人間の運転手の役割に相当する、認識・判断・制御が必要となる。主に、認識は視覚に相当するカメラ・レーダ、判断・制御は脳に相当するコンピュータが担当し、全体のシステムとして神経に相当する回路が対応する。また、動力源として、バッテリーがある。認識にはカメラの画像処理やレーダの座標変換等の技術が、判断・制御にはコンピュータの論理的なアルゴリズムが必要とされる。

自動車(以下、ビークル)は電源をONにして、ナビで目的地と経路を指定し、発進命令を出すと、現在地を検出して目的地まで自動走行する。

まず、ビークルはSLAMに従い、適切なアクセル(速度)、ステアリング(進行方向)制御を行うことで、適切な経路上を走行する。ステアリング値が0でない場合(カーブ時)は、アクセルも可変制御する。また、経路は単線または複線であるが、単線の場合は両白線の中間に当たる中央線上を走行し、複線の場合はさらに適切な中央線を複数ある中から自動的に選択する。これがカメラによる白線認識である。基本的にこの中央線上を走行するが、前方に先行車がある場合は、その走行速度に応じて車間距離を適正に保つ。ビークルは予想走行経路とその緊急停止可能領域をリアルタイムで検知する。その際、まず予想走行経路上に静止した障害物が無いかどうか確認する。もし走行経路上に静止した障害物が検出された場合は、その回避経路を検索・選択する。さらに、自車領域と緊急停止可能領域はリアルタイムで変化するが、(将来的な)「自車」領域と(将来的な)障害物が重なることはすなわち衝突を意味する。加えて、(将来的な)「停止可能」領域と(将来的な)障害物が重なる事もまた、衝突の危険性が極めて高い事を示す。従って、「自車+停止可能」領域と、障害物の予測地点が重なる場合は、停止・減速・加速又は回避が必要となる。回避する際、障害物の予測地点の角度が正の時は右側、負の時は左側に障害物が存在すると定義すると、それぞれ、正の時は左側、負の時は右側に回避すればよい。しかし、障害物が横切る場合、すなわち中央線と障害物予想経路が交差する様な場合は、減速・加速あるいは停止のいずれかが必要となってくる。

また、障害物の領域は、大きく分けて、中央(走行経路上)、左側、右側の3つがある。

※停止可能領域:停止するまでに走行する可能性のある領域

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2020 【現実を反映したフィクション】

時として、2020年。

アセンションは起こらないまま、時代は過ぎていた。根本的には、20世紀後半の世界と余り変わらない。地球温暖化も叫ばれているが、結局の処、確かに戦前に比べれば雪が減ったものの、雪が余り積もらなくなったものの、ここ日本では、冬になれば、多少は雪が降る。夏は夏で、確かに蝉の鳴き声は減少傾向にはあるものの、絶滅とは程遠い。都内でも、鶯の声は聴くことができる。しかし、今や、戦争を知っている者は、少なくとも日本にはほとんどいない。時代は徐々にではあるが、変革していた。

日本国憲法は未だに改憲されていない。実質は確かに20世紀後半あるいは21世紀初頭に比べれば、徐々にではあるが変化がある。が、大きな処、目立った変化はない。が、人々の心に何とも云えぬ、革新的とも懐古的とも云えぬ絶妙な変化がある事は、何となく感じ取られる、がしかし、表現し難い変化ではある。

よくよく観察すれば、SF的な風景も見られる。例えば、インターネットに常時接続されたiPodや高性能ミニノートパソコン或いは高性能携帯電話を常時携帯する若者は、シンプルだが何気ないお洒落を身に纏った、カオス的とも未来的とも言える、考察というよりは直観に任せた人為的ではなく自然に任せた、がしかし他の動植物とは壁を隔てた、人工的というか人為的な、かつ個が独立し協調は限られた時のみ行うような、そんな感じの生活というか、行動を行っている。

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リモートコントロール

さて、この世の中に出回る製品は、いずれも原始的な時代から見れば、非常に精密かつ緻密であり、一方で日々の生活で目にする家電や自動車、交通機関等には、確かにぶつぶつと文句を言いたくなる時もあるが、誤解が無いように述べておくが、常に根底にあるのはエンジニアと現場でモノづくりに携わる人への『尊敬と感心』という私の性には合わないものである。

だから、製品に故障や問題があれば腹立たしくなる時もあるが、そこは寛容になりたいという思いもまた同時に交錯する。

だがしかし、時として『胸騒ぎ』がし、どうにも感情を抑えられなくなる時がある。それは、企業に対してというよりも、第三者である一般市民(或いは裏の人間)が、自分さえ被害に合わなければそれでよいという感じで、無責任な発言をする時である。(つまり、人の生死などどうでもいい。その人の運が悪いだけだ。的な意味を内に含んだ発言である。)

非常に低い確率ではあるが、モノには欠陥が含まれている場合がある。さて、ここで一つ、確率という問題がある。すなわち、大雑把に言えば、大多数に問題が無ければ、極めて低い数の欠陥に対して、目をつぶってもよい、或いは目をつぶるのは止むを得ないかという、問題である。

この事に関しては、一言で片付く問題ではないかも知れない。ただ、これだけは、私のプライドにかけて言っておく。もし、その被害者が『あなた』であったのならば…。という事を考えて欲しい。


そして、私が怒りに満ちているのは、それだけではない。この世の中には、どんなに大多数の人間が熱意を込めて働いていても、たった少数の心無い人によって、それが台無しになる時が、(少なくともこれまでは無かったとしても、可能性として、)あるという事である。

結論から、言っておこう。これは事実かどうかはまだ分からない。だがしかし、戦争が当たり前の様に続いている現代社会において、その可能性は全くもって否めないとだけは言っておこう。

この世の電子・電気機器のほとんどは、『遠隔操作』される可能性が十分にあるという事、そして、一般には知られていないテクノロジーが多数存在するという事だけを。

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ハイリスク/ハイリターン

さあ、事件解決への道は、まだ始まってもいない。事件が起きたという事実がある。真相はまだ解らない。

私が唯一出来る事は、推定と云うよりも、あらゆる可能性の幾つかを提示することぐらいである。この可能性というか、危険性の提示は、新たな欠点をはっきりとさせ、製品に改良の余地がある事を証明する事となるだろう。

原因の推測は無数に存在するが、未だ確信には至っていない。少なくとも一般的には。マスコミの最大の役割の一つは、宣伝だ。従って、報道の際にも事実が歪曲され、つまらない事にエネルギーがそそがれる事は例外ではない。もし、現代の科学・技術が完璧であるならば、エンジニアはほとんど必要ない。確かにエンジニアには、確立した伝統的科学・技術を受け継いで再現するという大切な役割があるが、と同時に、発展・進化という非常に重要な役割を担っている。だからこそエンジニアの需要は未だに低くない。一見、現代は完璧の様で、穴がある。だからこそ、社会問題が何よりも際立つ。

自動車が暴走する。自動車の安全が脅かされている。この報道は、地元の空気を読んだとしても、紛れもない事実の様である。今回に限って言えば、決してパフォーマンスなどではない。真の関係者の深刻さは、かつてない異常事態である。だが、彼らは決してまだ諦めてはいない事だけは、感じられる。

さて、事実の確認だ。バブル崩壊後、不景気にも関わらず、自動車のデザインは近未来的へと発展し、電子化が進み、市場の拡大さえ感じられた。しかしここで、リコールと云う問題が徐々に深刻化する。かつて世界的に最高と歌われた日本車の品質。その神話が崩れつつある。

電子化の進行に伴い、エンジン制御の問題が徐々に明るみに出てきた。しかしまだ序章である。爆発したのは、例えて言うならば、有名な、最新の、プリウスの「第3代目」以降である。では、セレブの間で爆発的に流行した2代目と、今話題の3代目の大きな違いは何か。幾つかあるのだが、某人格者の重大な発言は、やはり一流とだけある。「レーダークルーズコントロールシステムのソフトウェア的問題」と言えば通じるだろうか。即ち、プリウスの三代目をきっかけとして、レーダークルーズコントロールシステムという、言わば、高知能化が、現実的に急伸している。

そして、重要事項が漏れている。エンジンのリモートスタートシステム(イモビライザー)、GPSカーナビ、ETCの搭載である。これら三点の共通点は、信号を受信するという役割が含まれるという事実である。イモビライザーであれば暗号化された停止信号のコントローラからの受信、GPSであれば現在位置情報の人工衛星からの受信、ETCであれば料金情報のインターチェンジとの送受信である。ETCは双方向通信であるが、イモビライザー、GPSに限って言えば一方方向の受信という役割にほぼ限定されている。そして、いずれも本来は暗号化されかつ方式が指定された「特定」の信号の送受信に役割が限定されている。その為、外部から形式とは異なるデータが送信されたとしても、正常であれば受信拒否する。ところが、異常が起これば、既定以外のデータが、受信に限らず送信される事さえある。即ち、イモビライザー、GPSの受信機、及びETCの送受信機は、構造的には単純な「送受信機」(言わば無線LANの様なもの)に変わりない。話をそらして例え話をすれば、TVのアンテナは本来受信機でしかありえないが、TVを改造すれさえすれば「送信機」の役割さえ果たす場合があるというものである。さすれば、特にエンジンに直結したイモビライザーの受信機が、誤ったデータを受け取り、マイコンのメモリの情報を書き換える可能性があるというものである。もちろん、そうしたエラーが起こらぬ様、企業側も十分な措置は取っているはずである。しかし、世の中には、完璧など存在しない。その分かりやすい例が、未だにWindowsのセキュリティが完璧では無いという事である。

ここまで言えば、私が何を言いたかったのか、ある程度は解るだろう。ハッカーと云うのはソフトウェアに限らずハードウェアの知識もがマニアック的に豊富な人間が無数にいる。彼らの様な人物達が、その技術を応用して自動車のプログラムを書き換えたとすれば、何が起こるだろうか?

そして、ポイントは、レーダークルーズである。このシステムは、最高速度を50100km/h程度に設定し、先行車を追従し、先行車が無ければ一定速度(最高速度)で走行するというものである。この、アルゴリズムの「最高速度」の「数行」を書き換えたとすれば…。(云うまでも無い。)

自動車は、「機械」→「電機」→「コンピュータ」と進化してきた。全くの熱機関から始まった自動車は、電子化がハードウェア的に進み、ソフトウェアが組み込まれ、もはや一種のコンピュータである。だが、パソコンと自動車とでは、コンピュータと云う共通性があったとしても、決定的な違いがある。言ってみれば、パソコンと違い、自動車は決定的に「ロボット」であるという事である。パソコンは、プリンタ等を除けば、ディスプレイの電工表示があるくらいで、機械的動作は基本的には伴わない。しかし、自動車は動作というか、運動する事が前提とされる。もはや、自動車は、パソコン以上に複雑な電子電気回路を伴うと言っても過言では無い。しかし、ソフトウェア的な「セキュリティ性能」という安全面から見た場合、果たして欠点が無い、穴が無いと断言できるだろうか。そして、回路というハードウェアから見た場合でも、本当に脆弱で無いと自信を持って言い切れるだろうか。

自動車の『ネットワーク化』は現在進行中である。

自動車が、PC10倍以上の価格である事には、理由がある。

もし、私がエンジニアであり、不完全な電子化を自動車にもたらしたとすれば、後悔する事であろう。

企業側の人間は立場上、専門知識をほとんど公にできない。さすれば、いつ真相が明らかになるのであろうか。

………。

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