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有用と無用

人間は、そもそも動物の一種であるから、言葉による会話はともかくとして、それ以外は全て他の野生動物と同様に完全に自然界に溶け込んで生活する事はできるのであろうか。真実はどうであるかわからないが、直感的な答えからすれば、おそらく、物理的には可能であるが、そこには自然淘汰があり、ルールを守らない者が居れば、バランスは崩れ、弱肉強食的な野生社会となる。では、最低限、完璧とまではいかないにしても、ある程度の法律的なものは、どんな世界でも必要と考えられる。では、残りは、原始人の様に衣服や道具といったものも、自然界に存在する様なありきたりのもの程度で、社会が成り立つかという問題である。そこには、技術やテクノロジーといったものは存在しない。この事に関して言えば、技術が完全に無い、手先を使わないようである、即ち動植物を手や口で捕獲するだけの様な生活では、他の野生生物との間の生存競争に非常に弱い。では、最低限、先住民族的な、伝統的技術は必要であり、逆に言えば、伝統的技術があれば、人間は非常に人間らしく存在できる。だがしかし、現代の流行は、ある意味宇宙人的とも言える様な、科学技術文明、ハイテク文明である。当然の事ならが、そこには何らかの根拠ある理由があるはずだ。では、様々なリスクを負いながらも、それでも現代文明は、ハイテクを求めて来た。必要な技術・知識が頂点に達しても、それを『維持』するのは容易ではないにも関わらずだ。

理由は様々であろう。例えば、より「快適」で「楽」であるという事も重要な要素だ。仕事量を減らす、食糧確保の安定性、デザイン・スタイル的な欲求を満たすという面でも、ハイテクは必要とされる。また、「衛生」においても、重要な要素がある。ペストの大流行は、歴史的な大事件であるが、例えば、日本の平安時代的な文明であれば、そこまで大流行していなかった可能性が高い。ペストの原因は、技術的なところよりも、文化的なところ、即ち慣習や法的なところが大きい。だがしかし、原因の最大要素はそれだけではない。「人口」という要素が重要なキーとなっている。当時は確か、ある意味「人口爆発の始まり」と言ってもよい様な時代ではなかったろうか。おそらく、テクノロジーがどんなに発達しても、許容できる人口には限度はあるだろう。だが、テクノロジーは収容できる人口を飛躍的に大きくできる可能性を秘めている。それが、例え、「一時的」なものであったとしてもだ。そして、衛生においても、技術を上手に駆使すれば、生活圏の衛生・清潔度を高く保つ事ができる。この様に、ハイテクがもてはやされるには、確かな理由がある。では、一見いいことずくめのハイテクを導入した現代社会が、どうも安定しないのは何故だろうか。一つに、技術の程度が低いというわけでは、決してない。ではなぜか。「使い方」がどうも、間違っているとは言わないが、理想的とはややほど遠いのであろう。これは、法律、慣習、経済、宗教等といった、国のプロジェクトの進め方から始まり、強いては日々の個人の日常的な生活の仕方まで関わっている。理想と現実は違うとは、よく言う事であるが、では一番問題なのは、確実にこの方法は理不尽であると確信しているにも関わらず、その行動を正さず、続ける行為である。この様な、「理不尽」もまた、理想と現実のたとえと同様、原因が自他のいずれにあるに関わらず、起き得る可能性は十分にあるのだが、ではもしもこの社会が、根源的に「理不尽なサイクル」から抜け出せないのでいるならば、そこを脱出する策は無いのであろうか。それとも、理不尽な方がかえって都合が良いと言う様な「摂理」でもあるというのだろうか。

人の欲望にはキリがない。そして、技術・知識といった文明的な欲望もまた欲望である事には変わりなく、20世紀はそれをかなり現実のものとしてきた。そこで、表面化されたテクノロジーと、表面化されないが明らかに実態として存在する、隠されたテクノロジーとがある。いずれの技術にせよ、テクノロジーの使用に当たっては、「モラル」が存在する。モラル、道徳においても、何らかの規則や法則が存在するのが一般だ。しかし、その規則や法則は絶対的なものとは限らない。モラルの価値観は、人によって、時代によって、或いは時と場合によって異なるのである。だがしかし、明らかに不自然なモラル違反と呼ぶにふさわしいものには、やはり法則性があるようだ。「不平等」である。

現代日本は、まさしくモラル違反社会そのものではないだろうか。

しかし、それでも、昔の人は、それでも「帳尻は合う」というのだが…。

ブレイン・マシン・インタフェース(BMI)は存在するらしい。また、エシュロンの存在も、時機に教科書に載る時が来るかもしれない。Wikipediaでも正式に存在を認めているようだから、嘘ではないだろう。BMIに関して言えば、何より、脳波スキャン技術は確立しているし、後はその脳波を解析し、言語化・イメージ化できればよいのであるのだから…。(しかし、それをさらに悪用して、信号を送り込み、マインドコントロールができるとか、できないとか…。脳波を操る事は、体の自由を奪うのとは違うと考えるかもしれない。だが、あなたは肢体を縛られ拘束された時、怒るだろう。ロープをナイフで切れば済むが、煩わしいし、不可能な時もある。「思考の自由を奪う」とは、そういう事である。)

では、そのような技術が「存在」する事自体に、異議は無い。だがしかし、モラルを考えたときであるのだが…。(法整備はやや時代遅れだ。或いは法が遥か昔に存在していても、市民は理解していない。そして、後から気付く。)

現代のテクノロジーは確かに素晴らしい。しかし、中途半端な大人は、「偶然の産物」を、生きる為の道具ではなく、おもちゃと勘違いしているようだ。

どんなに複雑な論理であれ、設計図であれ、そこには自然界の法則があるから存在するのである。その「アイデア」には確かに努力も必要だが、それだけではどうにもならず、そういう意味で、人類は運がついている。

≪あなたは、大切に引き出しに保管している、他人のノートを、むやみやたらに覗き見するであろうか。。。引き出しの鍵を盗んでまで。。。≫

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