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天国と地獄

こちら側の世界とあちら側の世界があると仮定する。

こちら側とあちら側とでは、何らかの接点があり、関連性がある様である。

おそらくは、あちら側には、こちら側の死者の霊魂や、自身の分霊が存在する様である。「自身の分霊」とは、厳密には、おそらく睡眠中等に自身から一部または全部が分離した霊魂である。即ち、こちら側での精神状態というのは、あちら側に多大な影響を与え、その逆もあるという事である。

残念ながら、ほとんどの人間は、こちら側の自身を制するので「精一杯」であるはずだ。

 幽体離脱は、様々な意味で簡単ではない。そして、非常に危険性を伴うものである事に変わりない。だから、若いうちからの幽体離脱には特に要注意である。

幽体離脱の世界は、まさしく「自由」の世界であるかもしれないが、そこには「暗黙のルール」がある様である。こちら側の世界で生まれた時、自身は手探りで生きて来た。そして、あちら側に行った時も同様である。意識を集中しないと、他人に操られる可能性さえある。

天国と地獄。この両者にはっきりとした境界はない。もし、今自分が地獄に居るのであるならば、自分を磨くチャンスと思うしかない。もし天界から地獄の、「分霊」ではなく「分身」を操作していたのであるならば、特に悪意ある操作を「意図的」にしていたのであるならば、例え地獄の人間でも黙ってはいない。

ここで気付いた事。「自分」という言葉には「自らを分ける」という意味がある。自分というのは、自らのさらに一部でしかないようである。そして、「自ら」にも、深い意味がある様だ。

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観察者と労働者がいて、労働者というのは、観察者の思い通りには動いてくれないものである。労働者は観察者の言動・指示に「意義」があると思い考えた時、素直になるだろうが、明らかに悪意を感じた時、反抗するのは当然である。逆に手助けを得られるのは、その人の仕事に意義があり、また手助けをする人に多少の「ゆとり」があるからだ。

そもそも労働には、どんな意義があるのだろうか。単純に生きる為? 実際に、目的は何であれ、「生きる」事それ自体目的であれば、人はその「基本手段」として働くだろう。故に、働く事を阻止するとは、生きる事を阻止する事、につながる。

仕事は共同作業が少なくない。しかし、結局のところ、共同で働いたと言っても、人には一人一人、「役割」があり、むしろ、理由もなく、人と完全に同じ動きをしていては意味がない。(もちろん、全員が同じ動きをする必要がある時もまた、多々ある。)真の意味での「協同」とは人と同じ事をするのではなく、自分にしかできない役目を果たす事ではないだろうか。

人は、矛盾した世界に居る時、自分が適していない環境に存在する時、無意識的に不平不満が増えるのかもしれない。もし、自分が「批判された」事を素直に認める時、そこには何らかの原因があり、「身に覚えがある」という事である。それでも理にかなっていないと感じた時、少なくともどちらか一方が相手を誤解しているのである。

人の考えを理解していると思った時、それはとんでもない勘違いだ。仮にテレパシーが存在しても、それが全て真とは限らない。ただ、いつの時代でも、本当に意思を伝えたい人には、時間に遅れがあったとしてもやがて伝わり、無関心な人間同士では、いつまで経っても思いは伝わらない。唯一つ、「気付かない」と「無関心」とではだいぶ異なる。

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さて、この世の中には、相当ひどい仕打ちを受けている人が、結構、否、相当数居る様である。

もし、その人が何らかのミスをして、責められるのであれば、責める人間、民衆に責任はないと断言できるだろうか。単純なミスが積み重なれば大事故につながる恐れがある。単純なミスは誰にでもある事で、重大なミスというのも、結局のところ、単純なミス(ケアレスミス)と大差はない。でもしかし、重度はともあれ、確かに全て行動の原因の大部分は本人に責任があるのかも知れないが、相当な失敗には、相当の原因・理由があるものだ。

私は、日本の歴史が長らく続いて来られたのは、一見日本は中央集権国家の様で、実は地方分権国家の精神を非常に大切にしている処にあると思う。

ある人曰く、ある人を窮地に追い込んだのは、偶然でも運命でもなく、愚民の怠慢だ。努力、苦しみ、悲しみ、そして苦悩を知らない人間が、優等生を殺すのは、「国王」と「神」が絶対に許さない。そして、民衆にもし常識があるのであれば、最低でも、その人を決して責めたりはしない。そして、選ばれし者の代表者、即ち『現実世界の国王達』と『超常世界の神々』は、一致団結し、我を無に帰し、人民の再生を、誠意をもって、厳かに行う。

しかし、国王と神をも凌ぐ者の存在は、私とて未だ確信できずにいる。

≪生命と意識の根源は、何であろうか。アダムとイヴが存在したのであれば、その原動は何であったのか。≫

≪『夢』・『幻』は、集合知か、それとも単独知か。その答えは、その人自身しか知らないのかも知れない。≫

人生は、『美しい』。

それが、本望なのだが、主は、弟子以上に、思慮深く、かえってそれが禍の元凶となり、でもしかし、それでもあえて、直線ではなく、曲線を描いた。師曰く、ある時は実直に、又ある時は柔軟に。…。

私は、元来、真っ直ぐで、向う見ずな人間だ。それを、誰かが、真っ先に、正してくれた。

 ≪起源は、益々、複雑怪奇となっている。≫

 楽あれば苦あり。私は、まだ世界を旅していない。日本人に生まれたには、意味がある。

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若くして老いるというのは、幻想で、真に老衰を感じる人間は、実世界にはほとんど存在し得ない。

それにしても、『ふざける』にも程がある。余程、真面目な人間が居たからであろう。

『文武両道』

しかし、この世は、それ以上に遥かに複雑怪奇であり、しかしそれを証明するのは、容易ではないらしい。

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