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人と宇宙起源

君は、自分の街をどれだけ愛しているだろうか。

生まれた街、育った街、学んだ街、働いた街、教えた街、育てた街、休んだ街、…。

宇宙は気付いた頃には空間は半無限に存在し、時間は流れていた。陽子・中性子・陰子(電子)に加え、光子が真空を占め、しかしそれだけでは全てが説明できず、粒子ならずとも液体的な元素の存在も否定できないが、21世紀になった今でも曖昧なままだ。

ここで、宇宙の物理法則を説明する事で、地上で起き得る全自然科学的現象の説明に挑戦する。それは、私達の周辺の自然と人工物のあらゆる現象、即ち『生活』を説明する処に繋がることであろう。

よく、この様な比喩が用いられる。全ては、一つのシンプルな式で再現されるというものだ。例えば、最近の流行とは異なるかも知れないが、いつの時代でも、『聖書』のインパクトは強烈で、なぜならば言葉にせずとも何時も万人の脳裏に焼き付いているという処で、侮れないのである。『禁断の実』と言えば『リンゴ』であるが、即ち『ニュートンの運動方程式』は、あまりに有名すぎて、かえって無と化している。

              ma=F

この単純明瞭な式。しかし、この様なシンプルさは、複雑な何よりも宇宙的だ。

人間は『言語と図形』という中途半端なもので、文明を築いて来た。確かに『形式化』という面で、私達は、自然を改造し、人工的で、複雑で、しかし不自然な都市の生成に、自然破壊を伴いながら成功して来た。現代文明である。

古代文明は、現代的という面で欠けていたのかも知れない。しかし、宇宙との一致、『自然』な『なりふり』という面で、私達よりも大切なものを大切にして来たのかも知れない。

人工物即ち現代社会は、シンプルな式にさらに複雑な条件を無数に加える事で、限定化を行った。本来ある宇宙というこの世界の姿は、シンプルな式に、少々風変わりな初期条件を+した様なものでは無かろうか。だがしかし、やはりそれだけでは全ては説明がつかず、『神』という比喩や『意識』という名の不確定要素は、永遠の『未知』なのかも知れない。

『木』という植物において、あまりに当然過ぎるから人々は語らない。根・幹・枝・葉・果実から成り、全体は『細胞』という要素の集合である事に変わりないが、その組織は別の観点で、導管や繊維、細胞壁、表皮、成分、水分或いは、種子等分類するとキリがない。

宇宙という観点においても、様々な観点から、人間は無数に分類し、無数の法則性を見出す。空間・時間。点と線、面、立体。(0123)。学問はますます細分化され、サービスの多様化も進むように、人々は過去の英知を知るよりも早く、新しいアイデアの発掘に絶えまない。光、電子、原子、分子、物体の各々の法則は全て異なるようで、非常に共通性に支配されている。即ち、根源的な物理法則は、万物に共通であるという事である。

人は肉体を通して、間接的にしか宇宙を体感できない。肉体を通して感知する宇宙原理は、フィルターを通したものだから、歪んでいる。

人は、何を求めて生まれて来たのか。快楽という名の刺激か。それとも無という安堵だろうか。

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